プレイエル社の創業者、イグナツ・プレイエル(Ignaz Pleyel,1757-1831)は、オーストリア人で、古典派の偉大なる作曲家ハイドンに学んだだ優れた音楽家でした。
エルデーディ伯の宮廷楽長、ストラスプール大聖堂の楽長を務め、古典派音楽の時代で、ベートーヴェンが出てくるまでのわずかな期間に活躍していました。
1783年にフランスに渡り作曲しますが、特にアメリカに渡っていった賛美歌は、プレイエル教会が建てられるほど人々に愛されました。
彼は、フランス革命でチェンバロ最盛期は終わり、教会や公のコンサートは禁止されたのを機に、イギリスに渡ります。そこで楽譜の出版業を始め、当時売れっ子だったベートーヴェンなどの楽譜の出版で成功しました。
その後、1807年にパリの技術界で卓抜な才能を持つアンリ・パプ(Jean-Henri pape,1789-1875)を引き抜き、ピアノ製作を始めます。彼は、イギリスのピアノ製作技術を上手く取り入れて、プレイエル社は瞬く間に発展を遂げていきました。