エラールはフランスを代表するピアノメーカーでした。創業者のセバスチャン・エラールは1752年生まれで、早くから建築や機械に才能を示し、家具職人からチェンバロメーカーへと職を移します。彼は、そこでメキメキ頭角を表し、師匠の能力を超えてしまい、それゆえクビにされてしまいます。
次の職場も才能ゆえにうまくいきませんでした。その後、パトロンがつき自分の工房を持ち、1777年に最初のピアノを発表しましたが、同業者からやっかみにあい、なんとギルド(同業者組合)から除外され職を失いました。
そこで彼は、ピアノ職人を続けるために、当時のフランスの王妃、マリーアントワネットに多くのピアノを贈りました。アントワネットは声域が狭く、普通の音域で歌うことが困難でしたので、彼は「トランスポーシング・ピアノ」を発明し、どんな調にも移調可能なピアノを贈り続けました。この業績で、フランス王朝よりピアノ製作の特免状が与えられました。
ところが運の悪いことに、フランス革命が起こりエラールも処刑の対象者になってしまい、それから逃れるため、イギリスへ渡りました。そこで、ブロードウッドという有名なピアノメーカーで再度ピアノ製作を研究しました。イギリスで地位を築いたエラールは1786年にパリへ戻り、ヨーロッパ最高のピアノメーカーへ成長していきました。